言葉の前に
子供たちと一緒に動くと、子供の声が聞ける楽しさがあります。
子供たちの言葉は直感的で、時に残酷で、聞いていて実に面白いです。録音して当事者に聞かせたいくらい。
「あのオジサン、偉そうに言ってたけど、走ったらオレの方が速いし…」
「良いって言ったり、悪いって言ったり、皆(大人)言ってること違うし…」
「協力しなさいって、自分(大人)がしてないし…」
子供に限らず、人間は自分に都合を合わせます。私自身もそう。幼少の記憶では、褒めてもらったことしか覚えていません。また褒めてくれた人の「今」しか関心がなく、見て確かだと感じたもの(手本)と、そこに基づいた言葉しか、記憶に残っていません。
見て真似る子供には、言葉の前に見せる必要がります。私が子供と体を動かす理由です。その上で、言葉は子供の性格や捉え方、タイミングまでを考慮したものである必要があります。そうでないと、「あのオジサン…」って言われてしまいます。
指導者の教えは、伝え方は違っても本質的な部分では、然程の違いは無かったりします。問題は捉える側に寄せた伝え方であるか、そういうことだと思います。
幼い子供に対しては「昔は凄かった」という理屈は、あまり力を持たないことを知ると、言葉を伝えるに相応しい今の姿が大切なことに気付きます。
だからこそ、一緒に動けるオジサンである必要があるわけです。
「あのオジサン、只者じゃない…」
そう思わせたら、子供たちにもR40の言葉は届くはず…….たぶん。
(終わり)