やりきるということ
アスリートや難関ライセンスホルダーの「やりきった」という発言を聞くたびに、
いつも気持ちがざわついてしまいます。
余力を残さず、本気で挑んだといえる経験。この感覚が私にはありません。
正確には「やりきれない」自分ということになります。
「やりきった」に過剰に反応してしまうのは、耳が痛い言葉だからです。
時間がない、現状仕方ない、意味がない、足が痛い、今日はできない…..
やりきる前に何らかの理由を付けて、線を引き続けてきたのは、他の誰でもない自分自身。
過去の結果とは、必然なのだと思います。
目標をシンプルにすることで、できない理由探しをなくし、心の弱さと向き合って、計画に沿って今日をやりきる、今をやりきる、
その積み重ねの先に到達する「やりきった」を、心と体で感じてみたいから、
淡々と頑張る。
私が人生に求めるものは、案外この「やりきった」感だけなのかと、
最近になって思うことがあります。
そう、安上がりのR40です。
(終わり)