なぜ勉強するのか
上の子(中学生)が社会の授業で「なぜ勉強するのか」ということを考察した、と話してくれました。
生活のため、好きな仕事に就くため、有名になるため、お金を稼ぐため...
子供たちの答えからすると、この質問「なぜ働くのか」と似ています。
生活のため、幸せのため、生きがいのため...
働くとはそのための手段であり、それは人の役に立つことであり、仕事であると。
だから小さい頃から、「人のため」に対する教えを受けてきます。
この「人のため」という言葉をについて、確たる自分(信念・心)が前提にあって、語れるものと、私は考えます。そうしたものがないと、尽くすことに対して違和感を覚えたり、自己軽視でないかと迷いが生じたり、改めて自分の心と向き合うことになります。
R30後半まで「振り出しに戻る」を繰り返した、私の本音です。
だからこそ、勉強や働く理由が、心の底から涌出る自分の意思に因るものかどうか、この重さを感じてなりません。
「なぜ勉強(働く)するのか」
この答えは人によって異なるでしょうが、私はこう考えます。
それは「どう勉強(働く)するのか」を考えることであり、更に言えば、どう生きるのか、何を成したいのか、その思いを知るためではないかと。
それが分かれば、あとは意思に負けない自分を作るだけのこと。
そんなふうに思うのであります。
(終わり)