富士山に向かって
本日の練習場所は、山梨県富士吉田市の北麓公園内にある競技場。
息子とほぼ貸し切り状態です。
この競技場、陸上日本代表の合宿地としても有名です。過去に9.97の人も9.98の人も、そんな人たちが走っています。
アスリートのパワースポットみたいな場所なのか、オトウチャンもあやかりたい。
富士山に向かって走る息子の後姿は、いつもより様になっていて、身長120㎝程の小さな身体が、少しだけ逞しさを増して見えました。息子はこの日、2本目の乳歯が抜けました。
「僕は8m跳びたい」
きっとオトウチャンを喜ばせるために言ってくれたのであろう。
そんな子供の言葉に、足の痛みを忘れて何本も跳躍を続けるR40の姿は、必ずしも見本とはならない。でも、意思が夢を引き寄せる、その可能性を伝えるために、オトウチャンは前を走れる身体をキープしなければならんのです。
結局、午前10時過ぎに練習を開始し、競技場を後にしたのは午後16時。
最後まで「早く帰ろう」とも言わずに、スマホで何十回とオトウチャンの跳躍を撮影してくれた、子供の優しさが身に染みる。
車に乗り込んで1分後、息子は爆睡モードに入りました。
そして只今深夜2:10、その動画を確認しています。
息子のいびきを聞きながら。
(終わり)
青春の1ページ目
先日、上の娘の大会(市総体・陸上)がありました。
今回は応援に行くことも娘には内緒。極力目立たないように、逆側スタンドからサングラスをして偵察です。
マスクと帽子の着用は控えました。
部活動として参加する市総体は、子供にとっては青春の1ページ目。
そこにオトウチャンが必要以上に登場してはならないことは、何となく知っています。
離れたスタンドから鋭い眼差しと心の声を送ります。
それにしても、本当にスタンドからの試技(走幅跳)は遠すぎて見えないっ!
でもサングラスを外すと…世界は変わりませんでした。
R40、ついに視力も衰え始めたか…。
結局、試技終了後にアナウンスで知った娘の記録は3m77。
目標の4mは次回に持ち越しですが、全体2位(16人)で県大会に駒を進めた模様。
その後、私に気付いた娘は、そのことを嬉しそうに話してくれました。
この日、涙する子供たちの姿が、幾度となくR40の目に留まりました。
嬉しくて、悔しくて、溢れる様々な思い。そこに駆け寄る仲間たち。
眩しすぎるその光景は、サングラス越しに大きく見えて目が楽でした。
(終わり)
ブログの時間
3ヶ月前、40歳という節目もあり、折返しの人生で何を求め、何を成したいのか、頭の中を整理するためにブログを始めました。孔子の論語とは真逆の中年です。
誰かに何かを伝えたいとか、お小遣いを稼ぎたいとか、そういう感情ではなく、只々それをすることが、日々の迷いを和らげてくれるような、そんな感覚があったわけでして。
好きなこと、好きな時間、好きな考え...
そんなことを記録するなかで、不思議と湧き出る自己肯定感。深夜のブログは、心の声に耳を傾ける大切な時間となりました。
いつしかブログに星を頂き、昨日は読者さんまで現れました。これは力になります。本当に嬉しい。深夜にも関わらず、パワーが溢れてきます。merrygo001さん同様、私も眠れなくなります。だからダンベルを持ち上げて、気持ちを落ち着かせます。
ブログを書き、迷いが消えて、頑張れる。星を頂き、さらに頑張れる。このサイクルは最高です。
山のように積まれたTACの教材を前にしても.........これは...そのままです。吐きそう。
とりあえずR40、次月に小さな記録会に出ようかと。
22年振りのロングジャンプ、いやショートジャンプです。
(終わり)
自分でやってみる
オジサンを魅了するアクアリウムの世界。静寂と深い青、艶やかな魚たち。
こんなのが自室に欲しい。
小さな海を30㎝キューブに再現するための費用を、トレードでセコセコ稼ぐR40です。
地元のペット専門店。息子と二人、週末の出没頻度は高めです。昆虫や爬虫類を見ながら、ひとりで何か言っている子がいたら息子、優雅に泳ぐ海水魚を前に微動だにしないオジサンがいたら私です。
今ではホテルやレストランの水槽のように、個人宅でも水槽設置からメンテ、魚が死んでしまった場合の保証までを行うサービスもあるようです。でも、愛着を考えると手間暇は惜しめない。お金と時間の考え方に因りますが、オジサンは自分でやりたい男子です。
観賞に満足したら、施設に隣接する釣り堀(鯉)で、1時間ほど遊んでいきます。
慣れた感じの息子は、釣り堀をゆっくり一周し、今日はこの辺りと狙いを定めて糸を垂らします。
ポイントさえ間違えなければ、息子一人でも十分楽しめます。釣れた魚から針が外せないと、泣きが入るときもありますが、それも魚の様子をみながら、一度は自分でやってもらいます。釣りにしても、水槽にしても、手段や方法論を知ることが、成功したときの喜びや楽しみを大きくしてくれるから。
自分の力でできる。
子供たちには、色んな場面でその気付きを得てほしいと願う、オトウチャンでした。
(終わり)
息子の試合 其の1
息子の陸上記録会に付き添いました。前夜、片頭痛に悩まされたオトウチャン。朝からメガシャキを飲んでの参戦です。
小学3年生以下の走り幅跳びに出場し、結果は2m90cmで3番でした。
目標としていた3m台は次戦に持ち越しとなりました。練習では普通に跳べていたことをオトウチャンらは知っています。嬉しいか、悔しいか、今の気持ちを聞いたところ、息子は嬉しいと答えました。自分を知る人たちに褒めてもらえたことが、一番嬉しかったようです。
日頃から、大人になっても、仮に好成績が出せるようになっても、周囲の人たちに祝福してもらえる選手(人間)になろうと伝えていますが、それも覚えてくれていたようです。
親として、指導する側として、試合では子供たちの持っている能力の最大値を期待してしまうのですが、だからこそ、彼等の競技に対する気持ちが、前を向いていることが、大切なことのように思います。それは楽しいとか、嬉しいとか、そうした気持ちを、結果と並行して見てあげることなのかもしれません。あくまで主体は本人であるからと、そう思うのであります。
試合後も、競技場に隣接するサブトラックを、元気に走り回っていた息子。
次戦のために、明日もオトウチャンと楽しい練習です。
(終わり)
運を味方に
今週末に試合を控えながらも、私の練習に付き合ってくれた息子。
ご褒美は、例の「北斗のマンチョコ」1個と650円と少々値が張るドラゴンボールの「一番くじ」(キャラクターグッズが当たるハズレなしのくじ引き)1回。
当たりはしないよと、少々冷ややかな視線で見ていると、
見事に一撃で決めてみせました。
北斗三兄弟と、自身初となるフィギュアを見つめながら、ニタニタする息子。
そのフィギュアを見るたびに、彼のために挑んだUFOキャッチャーの苦い記憶が蘇るオトウチャン。いずれにしても素晴らしい引きの強さ。
余程嬉しかったのか、上の姉に対して残した置手紙がこちら。
独占欲があふれた、なかなかカッコ悪い文章。試合前に大切な運を使ってしまったようで、週末が心配です。
(終わり)
勝負どころ
ナイター練習に行くと、ランニングをする中年層が増えてきたように思います。
走る同世代に感化され、R40もナイターの日は気持ちが入ります。長距離ランナーの存在は、短い距離しか走れない私のモチベーションを高めてくれます。
練習を続けていれば、身体が重たく感じる日もあれば、気持ちが乗らない日もあります。息子のようなご褒美もありません。その日が何となく早く走れない日であることも分かります。
今日は家でマンガでも読んでいたい気分…。でも、いつも思います。気持ちが途切れそうになる、そこが勝負どころ。そこが仕掛けどころ。マゾっぽいですが。
叩けば響く子供たちとは異なり、オジサンの身体は意識的に刺激を与えないと、直ぐに硬直し、感覚が鈍くなってしまいます。心の葛藤に付き合っていたら、たぶん挑戦は続きません。
淡白に、機械的に取り組むこと、その継続の先にしか辿り着けない、次なる段階があります。勉強も同じ。たぶんブログも。
ナイター練習でランニングを続ける中年層らに、そんな姿勢を垣間見ることがあります。
R40、もう一段階上に進めたら、試合に出たいと思います。
(終わり)
陸上とトレカと息子
どうも、アイスバーの虜です。ソファーに腰を掛けて5本入り180円のそれをいただいているとき、幸せを感じます。
茹だるような暑さがやってきました。子供を走りに誘っても、さすがにノリが悪いです。
やる気スイッチを押すために、トレカの話をちらつかせてみます。賛否はあるでしょうが、時にはこんな手段も必要になります。そこは割り切って考えます。
現在、下の子は小学3年生。練習後に連れていく約束の場所も、公園から駄菓子屋、そしてコンビニからカードショップになりました。
ただ、息子の求めるカードショップは、本当に好きな人が足を運ぶ、いわゆるオタク向けショップ、地元ではなく県をまたぎます。
トレカはレアなものほど価格が高騰し、なかには1枚で100万円以上の値が付くものもあるようです。希少なものには資産性があります。それをできるだけ安く手に入れ、コレクションするもよし、高いときに売るもよし。私のしているトレードと全く同じです。今、そのカードがいくらなのか、子供も記憶しています。
欲しいカードは自分の小遣いのなかでやり繰りすることになります。お金が足りなければ、手伝い(労働)をするか、手持ちのカードを売る(資本)か、その両面を考えることは、子供が「お金」のことを考える機会になります。
オトウチャンも侮れないトレカの世界。試しに一度だけ、100円を使ってカード(ドラゴンボールヒーローズ)を購入してみました。
ミスターサタンが出てきました。
(終わり)
オジサンとピアノ
メモ書きブログも20本目。
見返してみると、なんともカタイ内容ばかりで、、これはイカンです。
オジサン臭が強すぎますから。消臭斬り!残念!
さて、競技場の近くで、いつもギターを弾きながら歌っている若者がいます。
あんな風に人前で音を奏でることができたら、R40の青春も少しは華やかであったはず、、たぶん。
その昔、R40はピアノを習わされていました。
週に一度のレッスンが、当時は地獄の時間でした。周りの友達はサッカーや野球をしているなか、なぜ自分だけが女の子のすることをしなければならないのか、まさか親は自分を女っぽくしたいのか、そんなことを思わない日はありませんでした。
鍵盤を見れば破壊したくなり、楽譜を見れば破り捨てたくなり、先生を見れば逃げたくなる、、幼少期のアカスケにとってピアノは苦痛そのものでした。
結局、部活を始めると同時にその呪縛から開放されましたが、そのときの安堵感と爽快感は、今でもはっきりと覚えています。
今、子供(長女)がピアノを習っています。楽しいと言います。
当然、その腕は私の及ぶところではありません。しかしこうなると、黙ってはいられないのがオジサンというもの。
娘がクラシックなら、オジサンはドラクエからやってみるかいな。
幼少期の苦痛とともに、微妙な腕を残してくれたピアノ。
少しずつ上達できればと思っています。
(終わり)
リミッターを解除する
夜間練習後、居間のソファでYouTube見ながら寝落ち… 誰にも起こされることなく、気付けば深夜。
今宵も規則正しく、心身抜け殻状態のまま主観を綴ります。
「できなかったことができるようになる。」
この瞬間に立ち会う機会の多いR40です。そこには挑戦を楽しむ子供たちの姿があります。
逆に大人になると、できることしかしない傾向にあるように感じます。言い方を変えると、挑戦しなくなります。成果や評価の上に生きるからでしょうか。効率や合理性を主張する声もあります。勿論、そこに良否はありません。それぞれ環境も異なりますから。
しかし、そうした大人の多くが今、社会の変化のなかで、苦境に立たされているようにも思えます。できること自体がなくなりそうだと。
未来を生きる子供たちに対し、人生無駄に遠回りのR40が、走りながら思うことが3つほどあります。
1:結果を恐れず、他人の評価を気にせず、色んな種目(分野)に挑戦すべきということ。
2:不得手とも向き合うなかで、自分の弱さを知り、それを克服する過程で得られる力は強さになるということ。
3:それは本質的な力であり、状況を問わない力であり、応用が利く力であるということ。
スポーツでもビジネスでも、環境に左右されない、突き抜けた存在がいます。自らのリミッターを解除して、新たな挑戦を求める人たちです。そこに昨日の自分を超えていく、大きな力が隠れていることを彼等は知っています。
ただ間違いなく言えることは、大人の挑戦は疲れます。
抜け殻からは以上です。
(終わり)